BLOG

『壇蜜日記』に触発されて日記を綴ることにした。twitterやfacebookとは別に、毎日日記を書くことの大変さは理解しているが、敢えてチャレンジしてみる。ブログを書きながら実感しているが、僕にとって書くことは心身共に大きな疲弊を伴う。それだけ集中し、言葉を選んでいるからだと思う。日記を続けることで、この疲弊は解消されるのか試してみたい。

『勉強するのは何のため?』(著:苫野一徳)

東京大学の学生たちとのワークショップ用に駒場キャンパス内の生協でジャケ買いした『勉強するのは何のため?』。

 

何気ないきっかけで購入した一冊でしたが、このタイミングで読むことができたことに感謝の言葉が尽きません。

誰もが自由に生きたいように生きる「自由」を求める。お互いの自由を受け止め合えず、自分の自由だけを主張する。その際、自分だけの限られた経験を他人にも当てはめる「一般化」によって他人を排除しようとする。大切なのは排除するのではなく、お互いに認め合うこと。自分が関わるコミュニティを「自由の相互承認」に満たされた空間にしたいと改めて誓った一冊でした。

 

気になったキーワード

 

●正解よりも「納得解」を求める。どちらが正しいか?と問うことをやめる。答えは一つではない。
●自分だけの限られた経験を他人にも当てはまると考えてしまう「一般化」という概念
●考えるのは自分にとっての正解。ただし、自分にとっての正解が他人をひどく傷つける、または、自分自身を苦しめるのではれば、別の意味を見つけだすこと。
●学力とは「学ぶ力」のこと
●勉強するのは「自由」になるため。ここで言う自由は「生きたいように生きられる」ということ。
●誰もが自分の「自由」を主張し合うからこそ、人類は長い間、どうしても戦争をなくすことができなかった。まずは、お互いがお互いに相手が「自由」な存在であることを認め合うこと。自分が自由になりたいのであれば、素朴に主張し合うのではなく、相手の自由も承認する必要がある
●自由になるための最大の条件は「自由の相互承認」の感度を身につけること。嫌いな人や苦手な人を攻撃したり、いじめたりしないで、まずは認め合う
●他人がいるから、自分は思うがままに生きられない。だから他人を排除しようとする。他人を排除しようとする一つの理由が「自己不十全感」。自己不十全感を解消するのは「承認」と「信頼」。
●過度の管理は、自己不十全感を抱かせる

 

 

勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方

勉強するのは何のため?―僕らの「答え」のつくり方