公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。

『壇蜜日記』に触発されて日記を綴り続けた1260日の記録。仕事の新しいプロジェクト対応で日記を中断した2018年4月。公私混合(Work Life Integration)を掲げながらも公私がバラバラになった日記最後の日。ブログのタイトル変更と共に、また、公私混合な日々を取り戻していく。 公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。Work Life Integration. Brand Strategy & Social Design.


公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。多摩川沿いに住む48歳。2021年の目標は「行動を笑顔で見せる」。未来創造に向けて考動(=考える+動く)し続けると共に、行動を背中でなく、相手に向き合って笑顔で見せる一年にします。

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チームメンバーからのメッセージ

新年度がスタート。2016年度から3年間(実質2年間)担当したNEC Visionは、昨年度の助走期間を終えて正式に次期リーダーにバトンタッチし、チームメンバーとは業務上の関係が解消となりました。次期リーダーにバトンタッチできたことはうれしいものの、寂しさがあるのも事実。感傷に浸っている中、これまでチームを支えてくれた一人からうれしいメッセージが届きました。

 

「岡本さんの下で仕事をさせて頂き、新しい気づきや勉強になることが沢山でした。柔軟な働き方を後押ししてくださったことも大変感謝しています。今までの歴代上司と大きく異なることは、仕事だけでなく、ライフスタイル全体について影響を与えてくださったり、考えさせてくださったりするところだと思いました。産休・育休・復帰とちょうど自分の生活が目まぐるしく変化するタイミングで、これも巡り合わせだなぁと感じます。」

 

涙がこぼれそうになりました。こちらこそ、ありがとうございました。

 

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ジャイアント馬場と祖父と僕

僕の生き方に影響を与えた一人であるジャイアント馬場さん。ジャイアント馬場さんの全盛期を中心に描いた『1964年のジャイアント馬場』を読了。

 

1964年のジャイアント馬場 (双葉文庫)

1964年のジャイアント馬場 (双葉文庫)

 

 

ジャイアント馬場さんを好きになったのは、僕の祖父のおかげ。祖父がプロレス好きで一緒にプロレス番組を見ていた。そこで活躍していたのがジャイアント馬場さんだった。祖父とジャイアント馬場さんの雰囲気が似ていたのが好きになった理由。

 

僕が小学生の頃。当時のジャイアント馬場さんはスタンハンセンやブルーザーブロディたちと戦っていた。すでに全盛期を過ぎていた馬場さんは強豪外国人レスラーに劣勢だったが耐え続ける姿にかっこよさを感じた。

ジャイアント馬場さんの全日本プロレス。アントニオ猪木の新日本プロレスリング。小学校の同級生はタイガーマスクなども活躍していた新日本派が多かった。猪木が掲げる強さに僕は馴染まなかった。攻めている猪木より受けている馬場に心酔していた。

 

僕も身長が高いもののスポーツやケンカが苦手で当時の“男らしさ”の価値観と一定の距離感を置きたかったのだと思う。だからこそ、攻めの猪木でなく、受けの馬場さんに自分を投影していたのだとも思う。

祖父の面影がある馬場さん、攻撃的な男らしさの価値観と一定の距離感を保ちたかった僕。だからこそ馬場さんが好きになった。同時に馬場さんにはスケールの大きさを感じていた。世界を知っているからこそ、猪木の挑発にも乗らない姿勢や存在感。

 

小学生の時に感じていたジャイアント馬場さんの偉大さを実感できた『1964年のジャイアント馬場』。馬場さんの全盛期の1964年当時。小学生(10歳)の僕がプロレスを見ていたのは1982年頃。全盛期の1964年からすでに20年近くが経過。

全盛期を過ぎていた馬場さんがPWF王座の奪還に向けてスタンハンセンに挑んでスモールパッケージホールドで勝った試合は涙が出た。解説者も馬場さんが一発技を受けるだけで「馬場、ピンチです」と叫ぶくらい衰えていた。そして逆転のスモールパッケージホールドでの勝利。

 

1999年に亡くなるまで大好きだったジャイアント馬場さん。馬場さんが亡くなり、数年後に大好きだった祖父も亡くなった。

 

katuhiko0821.hatenablog.com

 

元々は『1964年のジャイアント馬場』の感想を書くつもりだったけど、書きながら祖父を思い出すことに。僕を形成したのは祖父だったんだと気づく。馬場さんを通じて祖父を投影していたんだと。祖父と馬場さんの共通点。笑顔、優しさ、受容性。笑顔で大きく受け止める優しさ。

そんな祖父の背中を見て育った僕。祖父のように、笑顔で大きく受け止める優しさある人になりたいし、人でありたい。

 

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イノベーション至上主義でなく、モチベーション至上主義でもいいじゃん。

2010年代初め、社内の組織の枠を超えて、また、社内から社外へ企業の枠を越境してつくられた共創コミュニティはイノベーション創出が主目的だったけど、今は一年中誰もが使える保養所的な位置付けになった気がする。一年の合間に避暑地でリフレッシュする場が保養所だとすれば、気軽にいつでも誰もがリフレッシュできるのが社内外コミュニティ

 

イノベーションで新しい価値を生み出すためのコミュニティでなく、会社や社会とのエンゲージメントを維持する場。単なる空間でなく、場には心を解放できる仲間がいる。

 

なので、特に社内コミュニティを通じて何を生み出したのか?と問いただすのは愚問

 

「ワークショップ温泉」という言葉に違和感を抱き続けていたのですが、イノベーションの場でなく、モチベーション維持の場と考えれば納得。モチベーション維持の場だから保養所でリフレッシュした時と同様に「気持ちよかった」と声高らかに言えばいい。

 

今も昔も問われるのは「やるか?やらないか?」。

イノベーションごっこなのか?、本気のイノベーションなのか?
イノベーションごっこですか?と問われたら、ワークショップ温泉だと自信を持って答えればいい。

 

2010年代初めの社内外コミュニティと、今の社内外コミュニティは違う。ワークショップ温泉と名付け、歯がゆい気持ちなのは、きっと2010年代初めに社内外コミュニティに本気で向き合っていた人たち。イノベーションが目的だった人たち。

 

2010年代初めに社内コミュニティに向き合っていた人たちはイノベーションが目的だから社外とも積極的にネットワーキングして「共創」していた。共に新しい価値を創り出していた。繋がることは手段で、イノベーションが目的だった。

 

イノベーションが賞賛されて、モチベーション維持がダメと言っている訳ではないです。お互いに求める目的が違うのだから「繋がる」という手段だけにフォーカスしてお互いを誤解したり非難しないために書き残しました。

 

だからこそ、「イノベーションごっこ」や「ワークショップ温泉」という言葉がなくなってほしい。イノベーション至上主義でなく、モチベーション至上主義でもいいじゃん。

 

イノベーション至上主義でなく、モチベーション至上主義ようやく自分のモヤモヤが解消できました。自問自答なツイートのおかげ。

 

(追記)

成功の循環モデルは「関係の質」が起点。関係の質が向上すると、思考の質、行動の質が向上し、結果の質も向上するという連鎖。そして、良い結果が導かれたのでさらに関係の質も高まるという好循環。

モチベーション至上主義は、関係の質の向上に直結するとも言えるけど、関係の質で留まっている感も否めない。関係の質→思考の質→行動の質→結果の質を向上させる好循環を生むには「つながる」を目的にせず、「つながった先に成し遂げたいWHY」を意識し続けることが大切なんでしょうね。

 

 

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togetter.com

妻からのうれしい一言

妻から「最近のパパは以前のように優しくなったからいい感じ」と久々に褒められました。これまでは、ずっと家でイライラしていて家族の話を聞いておらず、一方通行な感じだったみたい。言われてみれば、いや、言われなくても自覚していたし、自覚しているにも関わらず、ついつい家族に甘えて続けていました...。

 

昨日、2019年の目標として「丁寧に時間を過ごす」を掲げましたが、早速、その効果が出ているのでしょうか?

 

ちなみに「最近のパパは・・・」の「最近は」は、この数年間を指しています。1999年に結婚し、今年で20年目。あっという間の20年。20年の内の数年は家族にとって好ましくないパパだったとのこと。目標に掲げた2019年だけでなく、これからは家族との時間を丁寧に大切に過ごすようにします。

 

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2019年の目標「丁寧に時間を過ごす」

2011年以降、毎年の目標を掲げています。

一年の計は元旦にあり、と言うものの、12月末に一年間を振り返り、1月に目標を考えて1月末に目標を設定するのがルーティーンになっていました。・・・が、今年はすでに3月も中旬に...。

 

2018年の目標「熱量」について振り返った昨年末。NEC未来創造会議のプロジェクトを通じて熱量高く過ごした一年だったのは事実。完全燃焼しすぎて次の目標が見つからない状態が続き、1月、2月があっという間に過ぎてしまった感じ。

 

katuhiko0821.hatenablog.com

 

2019年の目標を考えた時に幾つかのキーワードは浮かんでいます。

例えば、「愛着と執着」。昨年2月に転職活動をしていた時に考えた、NECに愛着があるからこそ、執着はしないという覚悟。その他、「怒らない」「笑顔」「行動で示し続ける」「転換」等々。

 

で、色々考えた結果、今年の目標を設定しようとしつつも時間に振り回されて目標設定できなかったことが課題だと気づき、自分らしさを維持するためにも「丁寧に時間を過ごす」を今年の目標にします。昨年はプロジェクトに集中して完全燃焼できたのも事実ですが、自分が振り回された結果、家族との時間も少なくなり、一番大切な家族との間で何かを置き去りにしてしまった気もしています。川崎100人カイギでも武蔵小杉に知人と友人ができた結果、街を丁寧に過ごすようになったと伝えたら、とても共感してくださった方がいました。自分自身と家族のためにも丁寧に時間を過ごす2019年にします。

 

2019年

多摩川沿いに住む46歳。公(NEC)ではブランド戦略を、私(川崎)では地域デザインを生業にしています。2019年の目標は「丁寧に時間を過ごす」。2018年に掲げた「熱量」。熱量高く過ごせた一方で大切な何かを置き去りにしてしまったのも事実。自分自身と家族のためにも丁寧に時間を過ごす一年にします。

 

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<これまでの目標>


2011年

多摩川沿いに住む38歳。 NECカシオモバイルコミュニケーションズで 「企てること」を生業としています。 2011年は、2010年に体感した「繋がり」「拡張」を 具体的な行動として結果を残します!


2012年

多摩川沿いに住む39歳。NECカシオモバイルコミュニケーションズで「企てること」を生業としています。2012年は、2011年に会社を中心とした社内外で実現した“繋がり”と“拡張”の「場」を「継続」しながら、社会に貢献するための一歩を踏み出す一年にします!


2013年

多摩川沿いに住む40歳。NECカシオモバイルコミュニケーションズで「企てること」を生業としています。2013年の目標は「続けるチャレンジ」(≠チャレンジし続ける)。やみくもにチャレンジするのではなく、現在続けているチャレンジを継続することで何かしらの答えを見つける一年にします!


2014年

多摩川沿いに住む41歳。NECで、次代のNECらしさを可視化することを生業としています。2014年の目標は「健康に過ごす」。心身ともに健康だからこそ、感じられることがあるし、今続けているチャレンジも素直に楽しめるはず。素直な考動の先にある、素直な結果を楽しみにしながら一年を過ごします。


2015年

多摩川沿いに住む42歳。NECで、次代のNECらしさを可視化することを生業としています。2015年の目標は「ペイフォワード」。充実した2014年を支えてくださった方々の顔を思い浮かべながら、他の誰かにご恩を贈っていきます。そして、思い&想いを紡ぎながら未来を描いていきます。


2016年

多摩川沿いに住む43歳。NECで、次代のNECらしさを可視化することを生業としています。2016年の目標は「等身大の自分」。弱い自分を認識し、想定される幾つかの困難や機会に等身大の自分で取り組み、仲間と共に未来を描いていきます。

 

2017年

多摩川沿いに住む44歳。NECで、次代のNECらしさを可視化することを生業としています。2017年の目標は「原点探究」。新しいことにチャレンジする自分の原動力は何なのか?惰性なのか?新たな理由があるのか?変化点となった2010年からを振り返りながら今の自分を探す一年にします。

 

2018年

多摩川沿いに住む45歳。NECで、次代のNECらしさを可視化することを生業としています。2018年の目標は「熱量」。2017年に掲げた「原点探求」。この数年は惰性になっていた感が否めませんが、原点は情熱でした。新しいことでも、継続のことでも熱量高く、惰性ではなく、前のめりに過ごす一年にします。

 

2019年

多摩川沿いに住む46歳。公(NEC)ではブランド戦略を、私(川崎)では地域デザインを生業にしています。2019年の目標は「丁寧に時間を過ごす」。2018年に掲げた「熱量」。熱量高く過ごせた一方で大切な何かを置き去りにしてしまったのも事実。自分自身と家族のためにも丁寧に時間を過ごす一年にします。