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『壇蜜日記』に触発されて日記を綴ることにした。twitterやfacebookとは別に、毎日日記を書くことの大変さは理解しているが、敢えてチャレンジしてみる。ブログを書きながら実感しているが、僕にとって書くことは心身共に大きな疲弊を伴う。それだけ集中し、言葉を選んでいるからだと思う。日記を続けることで、この疲弊は解消されるのか試してみたい。

DVD『アントキノイノチ』

久々にDVDを観ました。
先日、リビング用にソファーを購入したこともあり、またーりとしたキモチでDVDを楽しもうとしたのですが、寂しく、やり切れないキモチになってしまった『アントキノイノチ』。

昨年7月に、『アントキノイノチ〜プロローグ〜天国への引越し屋』を観て、今回は本編。
前作も寂しいキモチになったものの、原田泰造演じる「佐相」が新しい道を見つけるという前向きなエンディングだったので後味はよかったのですが、今回は...。






アントキノイノチ

遺品整理屋「クーパーズ」。クーパーズで働く佐相(原田泰造)・永島(岡田将生)・久保田(榮倉奈々)を中心にした話。
孤独死した家に訪れて遺品整理する三人。久保田はドキドキすると言う。理由は「ここで人が住んでいたんだ」と思えるから。今は存在しない相手との“ツナガリ”にドキドキすると言う。
一方、永島は高校時代に親友の自殺を目の当たりにしながらも、それを見ていた他の同級生全員が自分ごとではないような視線を送るツナガリの無さに、言葉で表現できない憤りと寂しさを抱き続けていた。今、ここに存在している相手との“ツナガリの無さ”への寂しさ。

また、久保田は高校時代にレイプされて妊娠。相手に認知されず、男性不信に。一人で産もうと覚悟した時、お腹の中の赤ちゃんが堕りた。「堕ろした」ではなく、「堕りた」。赤ちゃんは久保田の将来を考えて自ら堕りた、赤ちゃんに助けられたと重い過去を背負っている。
「赤ちゃんが自分から堕りた。私のために堕りた。今でも考える。あの時の命。」と久保田。
「今、自分がなんで生きているか、わからない。だけど、生きている。」と永島。
「(心と体の)跡は消えない。私はちゃんといきたい。」と涙ながらに語る久保田。

死ぬ時は一人だけど、生きている時はつながっていたい。みんながバラバラで生きているのは寂しいし、不自然。自分の気持ちを表現できた時、それまで言葉で表現できなかった憤りと寂しさを表現する言葉が見つかる。「みんな、元気ですかー!!」

「もう一人じゃない。私は今、ここにいる。」

自分と、未来の自分に向き合えた久保田。それから、すぐに、トラックに引かれそうになった子どもを救うべく、自分が犠牲になった久保田。寂しすぎるエンディング。

『余命3ヶ月の花嫁』もそうでしたが、榮倉奈々が演じる役柄は、明るい笑顔と、その裏に秘めている寂しさや辛さもあり、「死」というエンディングは、観ている僕をハンパなく寂しく、そして、やり切れない気持ちにさせます...。
今宵も泣いてしまいました...。

生きているんだから、無関心はよくない。
心をなくすのではなく、相手を思う心はあるのに繋がれないのは、本当に寂しい。負の集団心理。
誰か一人が誰かと繋がれば、そこから連鎖していくはず。
コネクター」としての自分づくりをしている今、出会ってよかったと思う作品でした。

オススメの作品です。


TBS映画『アントキノイノチ
http://www.tbs.co.jp/movie/antokino-inochi/