BLOG

『壇蜜日記』に触発されて日記を綴ることにした。twitterやfacebookとは別に、毎日日記を書くことの大変さは理解しているが、敢えてチャレンジしてみる。ブログを書きながら実感しているが、僕にとって書くことは心身共に大きな疲弊を伴う。それだけ集中し、言葉を選んでいるからだと思う。日記を続けることで、この疲弊は解消されるのか試してみたい。

お互いを受け止め合うこと

今週は多くのワークショップやイベントを実施、また、参加した1週間でした。創発リーダーシップ、幸福学、ユニバーサルデザイン、CSV(Creating Shared Value)とテーマは違ったものの、共通で浮かび上がった文脈は「ダイバシティとインクルージョン」でした。


ダイバシティとインクルージョンが注目される現在。個々人の個性を認め合う。個人が個性を発揮する。一方でダイバシティの波に便乗し、自分の主張や便益を優先して他人を排除する傾向も顕著になってきました。アメリカのトランプ政権然り。

 

ダイバシティは多様な人々が存在している状態。多様な人々が交わり合う状態がインクルージョン。


なぜ、人は個性を発揮するだけでなく、その個性を守るためなのか、他人の個性を否定し始めるのか?ただただ、お互いを受け止め合えばいいだけなのに。一人ひとりの個性は違うのだから、「違う」と認識していれば、敢えて他人の個性を否定する必要はない。「差別」でなく、「区別」と捉えること。


旧来依然の価値観が通用せず、価値観が再定義される時代。従来の優劣を決めていた物差しだけでは計れない時代。そもそも、従来も一つの物差しで計れていた訳ではない。生活者という視点、社会人という視点、地域という視点での、新しい物差しを考えるべき。


そもそも、この物差しは新しいものなのか?従来から存在していた物差しのようにも感じる。最近注目され始めた「ダイバシティとインクルージョン」。実は、ずっと大切にし続けていた思想。それが、この数十年、忘れられていただけ。みんなが自分らしさ、自分たちらしさを思い出す時が訪れた気がする。


自分らしさを大切にすると共に、相手らしさも大切に受け止めること。それが、「自分たちらしさ」というダイバシティとインクルージョンに社会なのだと思う。このように感じた今週でした。