公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。

『壇蜜日記』に触発されて日記を綴り続けた1260日の記録。仕事の新しいプロジェクト対応で日記を中断した2018年4月。公私混合(Work Life Integration)を掲げながらも公私がバラバラになった日記最後の日。ブログのタイトル変更と共に、また、公私混合な日々を取り戻していく。 公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。Work Life Integration. Brand Strategy & Social Design.


公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。多摩川沿いに住む48歳。2021年の目標は「行動を笑顔で見せる」。未来創造に向けて考動(=考える+動く)し続けると共に、行動を背中でなく、相手に向き合って笑顔で見せる一年にします。

https://www.katsuhiko0821.com


【日記】2017年2月20日(月)「質問する権利、回答する権利。」

会社での出来事。評論家モードでの質問メール。

質問するのは自由だけど、回答するのも自由。敢えて「回答するのも自由」と書いたのは、回答するには時間を要する、つまり、コストが発生するから。相手にとってコストという負担でなく、答えることをベネフィットと感じていただけるような質問を心がけることが重要だと感じた今日でした。

 

 

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【日記】2017年2月19日(日)「コスギカルチャーが描く未来と、望来」

中原区コミュニティフォーラム2017。テーマは「“学び”から創るコスギカルチャー」。武蔵小杉周辺のコミュニティ代表として、NPO法人かわさき市民アカデミーさんと共に「こすぎの大学」もパネリストとして参加して、活動内容を紹介する機会を頂戴しました。会場の方々も参加して地元愛に溢れた熱いパネルディスカッションでした。

 

昨年3月に発行された『コスギ・コミュニティビジョン2040~2040年の武蔵小杉駅周辺地域が目指すコミュニティ形成の実現に向けて~』。ここで「市民が創発したコスギカルチャー」が紹介されています。

 

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市民が創発したコスギカルチャー

市民の間で知性をはぐくむ文化活動が盛んなことも、この地域の特徴である。地元が大好きな人々が集い、子どもから大人まで自由で広く楽しく学んでつながる“学び舎”(こすぎの大学)の黎明期から30年が経って、「こすぎの地域学」は多くの市民の知的財産になった。

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2017年から23年後の武蔵小杉。僕は68歳、娘は35歳。

娘の名前は「望来」(みらい)。未だに来ない「未来」ではなく、望んだ社会が来る「望来」。未来は自ら創るものという願いを込めました。

 

写真は、第1回「こすぎの大学」で、みんなで考えた「武蔵小杉の可能性を表現する漢字」。「心が交わる」と書いて「ネットワーク」と読む新語。人が行き交うだけでなく、心が交わる、心温まる街。コスギ・コミュニティビジョン2040でも描いている「心が交わる街、武蔵小杉」を創っていきたいと思います。

 

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お互いを受け止め合うこと

今週は多くのワークショップやイベントを実施、また、参加した1週間でした。創発リーダーシップ、幸福学、ユニバーサルデザイン、CSV(Creating Shared Value)とテーマは違ったものの、共通で浮かび上がった文脈は「ダイバシティとインクルージョン」でした。


ダイバシティとインクルージョンが注目される現在。個々人の個性を認め合う。個人が個性を発揮する。一方でダイバシティの波に便乗し、自分の主張や便益を優先して他人を排除する傾向も顕著になってきました。アメリカのトランプ政権然り。

 

ダイバシティは多様な人々が存在している状態。多様な人々が交わり合う状態がインクルージョン。


なぜ、人は個性を発揮するだけでなく、その個性を守るためなのか、他人の個性を否定し始めるのか?ただただ、お互いを受け止め合えばいいだけなのに。一人ひとりの個性は違うのだから、「違う」と認識していれば、敢えて他人の個性を否定する必要はない。「差別」でなく、「区別」と捉えること。


旧来依然の価値観が通用せず、価値観が再定義される時代。従来の優劣を決めていた物差しだけでは計れない時代。そもそも、従来も一つの物差しで計れていた訳ではない。生活者という視点、社会人という視点、地域という視点での、新しい物差しを考えるべき。


そもそも、この物差しは新しいものなのか?従来から存在していた物差しのようにも感じる。最近注目され始めた「ダイバシティとインクルージョン」。実は、ずっと大切にし続けていた思想。それが、この数十年、忘れられていただけ。みんなが自分らしさ、自分たちらしさを思い出す時が訪れた気がする。


自分らしさを大切にすると共に、相手らしさも大切に受け止めること。それが、「自分たちらしさ」というダイバシティとインクルージョンに社会なのだと思う。このように感じた今週でした。