【日記】2015年1月9日(金)「生き抜く力」
今日は、第17回「こすぎの大学~武蔵小杉を次世代につなげる~」でした。先生役は、未来教育会議の菊池飛鳥さん・辻信作さん。先生役・事務局を除いて、48名の方々にご参加いただき、ありがとうございました。
最後の問いは、「武蔵小杉や自分の地域で、未来の子どもたちの“生き抜く力”を育み、養うために、あなた自身ができることや、やりたいことは何ですか」。
全10グループの発表。最後のグループは、考えがまとまらなかった、考えられなかったと「白紙」の模造紙での発表。発表者は、第11回「こすぎの大学〜武蔵小杉で相互理解する〜」で先生役を務めてくださった岡田誠さん。
正直、僕も同様でした。考えられませんでした...。
「生きる」と「生き抜く」は違うという先生役からのお話し。
では、「生き抜く」とは?
僕は「抜く」という言葉に良いイメージを抱いていません。「出し抜く」等、誰かを抜く、誰かより秀でることに価値を見出している意味性を感じているからです。
「こすぎの大学」からの帰り道、「抜く」という言葉を考えていました。
想定しない環境になった時に必要となる「生き抜く力」という、先生役からの投げかけでした。
「抜」という漢字は「手+友」。友だちが手を出してくれて、希望しない環境から助けてくれるイメージが浮かびました。自分一人で希望しない環境から抜け出すことはできず、友だちに助けてもらうことで友だちと同じ環境に戻れるということ。
誰かを抜く、誰かより秀でることではなく、誰かによって、誰かと同じ立ち位置にしてもらえるということ。
つまり、「生き抜く力」は「助けてもらう力」。助けてもらう力とは、相手にとって助けたいと思う存在になるということ。そのためには、相手と与え合える、助け合える関係性になること。
生き抜く力は、身に付けるものでなく、与えるものだと感じました。与えた結果として、自分が生かされるんだろうな・・・と考えを巡らせた帰り道でした。