澄み切った青空と、台風19号の痕跡が残る多摩川河川敷
義父が急逝し、その対応に追われた一週間。日常の生活感を取り戻すために多摩川を散歩。空を見上げれば、雲ひとつない澄み切った青空。一方、目線を下げて多摩川の河川敷を見ると昨年10月の台風19号の痕跡が未だに残っています。
亡き義父への思いも心に残り続けるのでしょうね。
2020年2月の多摩川
2019年8月の多摩川
急逝した義父。一週間泣かなかったのに、最後のお別れの時には涙が止まりませんでした
昨日の通夜に続き、告別式も滞りなく終えることができました。とうとう肉体のある義父とのお別れ。納棺の儀では、涙が止まりませんでした。先週の火曜日に急逝し、一週間の間、泣くことはなかったのですが、棺の中に眠る義父の周りに生花や、ウチの娘も書いた孫たちから義父への手紙、大好きだったのに入院生活中は飲めなかったお酒などを添えて、そして、家族が義父に「天国から見守ってね」などの声をかけ始めたら涙が止まらなくなり...。実子の妻も僕同様にこの一週間涙を流すことはなかったのですが、この時は一緒に泣いていました。
小田原の火葬場は山の上にあり、丹沢の山々や相模湾が一望できる場所。お父さんが大好きだった小田原を眺めながら天国に召されました。
妻と知り合って結婚したのが1999年。20年弱の義父との付き合いでした。多くの思い出をありがとうございました。合掌。
人は直接的な関係性を超えて、間接的な関係性の中で生かされている
義父の通夜を滞りなく終えることができました。家族と親戚だけの家族葬。納棺の儀で義父とのお別れを実感しました。
Facebookなどで義父にお悔やみの言葉を頂戴し、感謝しています。人は自分だけで生きているのではなく、直接的な関係性がある方々だけでもなく、間接的な関係性の方々にも見守れながら生かされているのですね。ありがとうございます。僕も近視眼的にならず、恩送りできるように努めていきます。
明日は告別式。義父の肉体とのお別れとなります。合掌。
僕が知らない亡き義父の生活
今週、義父が急逝し、今週末は義父とのお別れの儀。
棺に入れる思い出の品を義母が整理中。国鉄に勤務していた義父。車掌の腕章。職員用の路線図は根岸線が磯子止まり。娘は硬い切符に驚いている。常磐線の複々線工事完了記念のメダルとか鉄分多めの義父。国鉄職員だったんだから当たり前ですね(笑)。
合掌。
僕自身が落ち着かないと・・・
今週火曜日に急逝した義父。亡くなった義父との面会、通夜・告別式の準備、会社の仕事を並行して対応した一週間だったため、なんとも表現できない疲労感を抱えながら迎えた金曜日の夜。義父が亡くなった当日もそうでしたが、悲しむ暇さえなく時間が過ぎ去り、未だに亡くなった実感や向き合う余裕もないままの状態。会社(NEC)の仕事も、僕の場合は社内から公募で集まったメンバーによるプロジェクトをまとめる立場であるため、基本的にすべて自分で対応するしかないのですが、このような時に限って週末対応が必要な前倒しのリクエストもあり...。
義母や妻が安心して義父を見送れるように、僕自身が落ち着いて対応できるように努めます。