公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。

『壇蜜日記』に触発されて日記を綴り続けた1260日の記録。仕事の新しいプロジェクト対応で日記を中断した2018年4月。公私混合(Work Life Integration)を掲げながらも公私がバラバラになった日記最後の日。ブログのタイトル変更と共に、また、公私混合な日々を取り戻していく。 公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。Work Life Integration. Brand Strategy & Social Design.


公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。多摩川沿いに住む48歳。2021年の目標は「行動を笑顔で見せる」。未来創造に向けて考動(=考える+動く)し続けると共に、行動を背中でなく、相手に向き合って笑顔で見せる一年にします。

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【日記】2014年11月23日(日)「様変わりする武蔵小杉」


武蔵小杉にグランツリー ( GRANDTREE MUSASHIKOSUGI ) がオープン。
グランツリーに入って思ったのは「ここは武蔵小杉なの?」という印象。すっかり印象が変わりました。

僕と武蔵小杉の関わりは、大きく分けて3つのタイミングがありました。

最初は、就職時。20年前の話。
NECホームエレクトロニクスに就職。入社してから1か月間だけ、武蔵溝ノ口のオフィスに勤務しており、その際、洋光台→横浜→武蔵小杉→武蔵溝ノ口で乗り換え。当時の武蔵小杉駅の連絡通路がすっごくわかりづらかった記憶だけは鮮明に残っています。乗り換えが大変だったこともあり、東横線経由を止めて、上大岡→あざみ野→武蔵溝ノ口ブルーラインでの通勤を選択したくらいでした。

2回目は、武蔵小杉への引っ越し。
2001年に小田原から武蔵小杉に引っ越し。当時の武蔵小杉駅は、まだタワーマンションもなく、至って普通の街。スーパーと言えばイトーヨーカドーという感じで、商店街中心の落ち着いた街。東横線南武線の乗換駅ではあるけれども、両方の路線の人種(!?)が同比率で交わる垢抜けない雰囲気でした。

3回目は、「こすぎの大学」のスタート。
新旧の住まう人・勤める人・関心のある人が集う場としてスタートした「こすぎの大学」。スタートした2013年9月は、タワーマンションの方々を中心に「住まう人」が多数という印象だったものの、僅か1年強の間に色々な商業施設がオープンして、一気に「買い物に訪れる人」の比率が高まりました。そして、グランツリーのオープン。
就職当時の「わかりづらい街」、引っ越し当時の「垢抜けない街」という印象は、どこへやら。すっかり、オシャレな街に様変わりしてしまいました。

今後、武蔵小杉には、住まう人・勤める人・関心のある人・買い物に訪れる人以外に、どのような「●●な人」が生まれるのでしょうか?そして、どのような印象を抱く街になるのでしょうか?