25年前の就職活動を振り返る
入社当時を思い出しながらツイートしていました。25年前の出来事。
僕が就きたかった職業はテクニカルライターでした。取扱説明書を通じて、購入した商品を使えなくて困っている人を少しでも減らしたかったから。で、入社後にやりたいことが変わりました。商品企画。そもそも取扱説明書がなくても使える商品を作りたくなったから。 #志望動機
— 岡本克彦 (@katuhiko0821) May 26, 2019
僕が就きたかった職業はテクニカルライターでした。取扱説明書を通じて、購入した商品を使えなくて困っている人を少しでも減らしたかったから。で、入社後にやりたいことが変わりました。商品企画。そもそも取扱説明書がなくても使える商品を作りたくなったから。
テクニカルライターの職業に就きたかったので、会社はどこでもよく、職種で選びました。メーカーや出版社、印刷会社。取扱説明書を扱っている会社に片っ端から応募しました。
当時、横浜に住んでいましたが、面接で訪問した一番遠くの会社は新潟県三条市。暖房機器を扱っているコロナさん。当時、田中邦衛さんがテレビCMに出ていました。
1995年入社。就職活動は前年のゴールデンウィーク空けから。小さな大学だったので、就職活動の仕方を教えてくれる先輩もおらず、ゴールデンウィーク後にリクルートスーツ姿の同級生を見て焦ったのを今でも鮮明に覚えています。
バブル崩壊の合間、就職氷河期前夜な1994年。コロナさん訪問もそうですが面接の交通費は0円。自腹だと5歳上の兄に伝えたら自分の時との違いに驚いていました。兄の時は交通費の支給だけでなく、内定者を確保するために内定者を集めての食事会もあったみたい。僅か5年での待遇の差。
まだ就職もしていないのに交通費を貰うことに違和感があったので、バブル時代が狂っていたんだと思っていました。
今はNECに勤務していますが、当時、僕の大学からはNECの推薦枠はなかったような。1名だけあったのかな?僕はテクニカルライターを募集している会社を複数社訪問しつつ、学校推薦枠があったNECホームエレクトロニクスも応募することに。
テクニカルライターの試験は面白かったです。わかりやすく正しく情報を伝えるのが取扱説明書の役割なので筆記試験では「横浜のベイブリッジを200字で説明せよ」という問題がありました。
1994年の出来事だから25年前。当時、使いづらかった商品の数々。取扱説明書を通じて解決しようとした当時。商品に人が合わせていた当時。今は、タッチ操作や音声入力など、商品が人に寄り添うように変化。使えない商品をなくしたいと願った当時。四半世紀を通じて夢が叶いつつあります。