テクノロジーで得た利便性の代償で失った人として大切な何か
今春から東京女子学園さまが新設する「未来創造コース」で、NEC未来創造会議として授業を受け持ちます。現在、着々と準備を進めているのですが、僕らが生徒たちに伝えるだけでなく、僕らが生徒たちから学ぶことも多いと思っていますし、世代を超えた価値観の交流に意味があると考えています。
昨年、生徒たちにインタビューした際に、僕らが生徒たちから学んだエピソードがあります。
NEC未来創造会議では現在(2020年)から30年後の2050年に“人が生きる、豊かに生きる”社会像を構想していることもあり、生徒たちに30年後の社会がどうなっているか?と質問しました。生徒たちの年齢(16歳)の2倍近い先の未来であるため、もちろん、生徒たちはすぐには答えられないし、想像もできない感じでした。なので、現在から30年前の社会を紹介しました。30年前(1990年)、僕は高校生でした。ケータイやポケベルも所有していない当時。友だちとの待ち合わせでは「15時に●●駅の北口の改札で集合」というように時間と場所を入念に共有していたこと。仮に待ち合わせに遅れて来ない友だちには駅の伝言板にチョークで「先に●●に行っているよ」と書いていたこと。今は遅刻や迷ったりした時もスマホで連絡が取れるので待ち合わせという行為自体が大きく変わったという事例を紹介しました。
そこで生徒が発した言葉「テクノロジーの進化で人は時間を守ることにルーズになってしまったんですね」が印象的で忘れられません。テクノロジーで便利な社会にはなりましたが、人として大切な何かを失っていることを示唆されました。便利と幸せは異なるということに生徒から学んだインタビューでした。