公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。

『壇蜜日記』に触発されて日記を綴り続けた1260日の記録。仕事の新しいプロジェクト対応で日記を中断した2018年4月。公私混合(Work Life Integration)を掲げながらも公私がバラバラになった日記最後の日。ブログのタイトル変更と共に、また、公私混合な日々を取り戻していく。 公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。Work Life Integration. Brand Strategy & Social Design.


公ではブランド戦略を、私では地域デザインを。多摩川沿いに住む48歳。2021年の目標は「行動を笑顔で見せる」。未来創造に向けて考動(=考える+動く)し続けると共に、行動を背中でなく、相手に向き合って笑顔で見せる一年にします。

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311を忘れない(2020年)

311東日本大震災から9年の月日が経ちました。

当時の恐怖は未だに鮮明に覚えていますし、思い出すだけで身震いもします。

 

震災の瞬間、僕は武蔵小杉のオフィスにいました。NEC玉川事業場 N棟の最上階、37階。大きく揺れて倒壊するんだと本当に恐怖感に包まれました。そして、落ち着くまでオフィスで待機。家族を心配しつつも家族の元に駆けつけられないもどかしさ。同時にオフィス内で連絡がつかなくなったチームメンバーを探したり。余震も落ち着いて帰宅指示が出されたものの、未だに連絡がつかないチームメンバー。1時間探したものの連絡がつかず、無事だと信じて家族の元に帰りました。家族とチームメンバーのどちらを選択するか?、この時の選択は本当に辛かったです...。辛いというか、やるせない気持ちでした。

オフィスから自宅までは自転車で15分で帰宅でき、僕はすぐに家族と会うことができましたが、帰宅難民になった多くの仲間たち。twitterで帰宅する仲間を応援することしかできなかった僕。2011年3月11日は、僕が一番twitterを投稿した日にもなりました。

 

リーマンショックや311東日本大震災を通じて、あらゆる価値観が再定義されて色々なイノベーションが起こり始めました。僕自身も311東日本大震災を通じて大きく行動が変わり始めました。

現在、新型コロナウィルス対策であらゆるイベントが自粛されています。311東日本大震災直後も同様でした。自粛の理由が同一ではないので比較することさえナンセンスではあるのですが、当時、自粛ムードの中、震災から1週間後の3/18には企業間フューチャーセンターの仲間と一緒にワールドカフェを開催してtwitterで中継したり、2週間後の3/26には代々木公園でリングビー体験会を開催するなど、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)による新しい社会づくりに向けて挑戦していたのを思い出します。

 

 今はzoomですが、当時はtwitter。時代を感じますね。

 

 

311東日本大震災を忘れないために、そして、311東日本大震災を経て色々な挑戦をし始めた動機を忘れないために、例年、3月11日は会社から自宅まで歩いて帰宅しています。そして、今年も歩いて帰宅しました。色々な思いを馳せながら歩いた2時間半の帰路でした。

 

(追伸)

オフィス(田町)から歩いて2時間。丸子橋に着くと帰ってきた、帰ってこれた...と安心します。

 

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