311を忘れない(2020年)
311東日本大震災から9年の月日が経ちました。
当時の恐怖は未だに鮮明に覚えていますし、思い出すだけで身震いもします。
震災の瞬間、僕は武蔵小杉のオフィスにいました。NEC玉川事業場 N棟の最上階、37階。大きく揺れて倒壊するんだと本当に恐怖感に包まれました。そして、落ち着くまでオフィスで待機。家族を心配しつつも家族の元に駆けつけられないもどかしさ。同時にオフィス内で連絡がつかなくなったチームメンバーを探したり。余震も落ち着いて帰宅指示が出されたものの、未だに連絡がつかないチームメンバー。1時間探したものの連絡がつかず、無事だと信じて家族の元に帰りました。家族とチームメンバーのどちらを選択するか?、この時の選択は本当に辛かったです...。辛いというか、やるせない気持ちでした。
オフィスから自宅までは自転車で15分で帰宅でき、僕はすぐに家族と会うことができましたが、帰宅難民になった多くの仲間たち。twitterで帰宅する仲間を応援することしかできなかった僕。2011年3月11日は、僕が一番twitterを投稿した日にもなりました。
リーマンショックや311東日本大震災を通じて、あらゆる価値観が再定義されて色々なイノベーションが起こり始めました。僕自身も311東日本大震災を通じて大きく行動が変わり始めました。
現在、新型コロナウィルス対策であらゆるイベントが自粛されています。311東日本大震災直後も同様でした。自粛の理由が同一ではないので比較することさえナンセンスではあるのですが、当時、自粛ムードの中、震災から1週間後の3/18には企業間フューチャーセンターの仲間と一緒にワールドカフェを開催してtwitterで中継したり、2週間後の3/26には代々木公園でリングビー体験会を開催するなど、ソーシャルキャピタル(社会関係資本)による新しい社会づくりに向けて挑戦していたのを思い出します。
JUNCTION CITYにチェックインしました。これからツイッター・カフェ。楽しみです。
— 岡本克彦 (@katuhiko0821) 2011年3月18日
今はzoomですが、当時はtwitter。時代を感じますね。
今日のリングビー、多くの方々にお集まりいただいたので楽しかったです。青空の中、みんなで一つのことに夢中になることのうれしさと、夢中になれることの尊さ。震災の中のイベントであったことを最後に振り返り、明日からの行動を考える、素敵な場でした。みなさん、ありがとうございました。
— 岡本克彦 (@katuhiko0821) 2011年3月26日
311東日本大震災を忘れないために、そして、311東日本大震災を経て色々な挑戦をし始めた動機を忘れないために、例年、3月11日は会社から自宅まで歩いて帰宅しています。そして、今年も歩いて帰宅しました。色々な思いを馳せながら歩いた2時間半の帰路でした。
(追伸)
オフィス(田町)から歩いて2時間。丸子橋に着くと帰ってきた、帰ってこれた...と安心します。