311東日本大震災とCOVID-19で考える自分事(当事者意識)の違い
COVID-19は、これまでに大きな社会インパクトを与えた出来事より大きな社会変化を生むという論調が多いです。この論調に違和感を抱き、悲しくも感じている自分がいます。
2000年代以降だけでも、911アメリカ同時多発テロ事件(2001年)、SARSの流行(2002年)、リーマンショック(2008年)、iPhoneの日本上陸(2008年)、311東日本大震災(2011年)という出来事があり、その度に価値観が再定義されてニューノーマルが話題になっています。
おおよそ10年周期で大きな社会インパクトを与える出来事があります。
これらの出来事とCOVID-19の違いは何なんでしょうか?
僕は「文化=人数×時間」と自分なりに解釈しています。より多くの人々に、より長い年月浸透して定着した価値が文化と考えています。
311東日本大震災は、首都圏でも大きな地震で計画停電も含めて自分事に感じた人は多かったです。事実、僕自身も自分事(当事者意識)として捉えていました。ただし、実際には一部の部分しか自分事になっていなかったと、今、振り返ると強く感じます。
COVID-19による緊急事態宣言で外出自粛要請が発令されて行動範囲が大きく制約される、COVID-19の感染という目に見えない恐怖に不安になるなど、今は日本の全国民が自分事になっています。
311東日本大震災の時、東北の方々は放射能という恐怖に立ち向かい、外出自粛要請を上回る避難生活を体験されています。すでにCOVID-19以上の経験をされているのです。
このように考えると、当事者にならない限り、社会を変えようという大きなムーブメントは起こらないのだとも悲しくもなります。
毎日のようにCOVID-19の感染者の増減などの情報(数値)を入手しますが、それを実際に経験していない人にはCold Informationでしかない。
情報でなく「体験」を共有することで時間と場所の制約を超え、より自分事として捉えて社会や未来に好影響を残していく必要があると感じています。